クスコの地下を走る「謎の地下トンネル」
インカの血を引く人々の間で、代々語り伝えられている伝説・神話の中に、大変興味深い話がある。それは、クスコにはりめぐらされた謎の「地下トンネル」の話である。
サクサイワマン城塞の裏側にある小高い丘の上に、近年発掘された遺跡がある。この遺跡の中に巨大な自然石があり、その裏側には地下トンネルに通じる入り口があることが知られている。
地下トンネルは、クスコ市内のカテドラルやサント・ドミンゴ教会などの主要な建物の地下につながっていることは間違いないようであるが、地下道の内部は、迷路のように何本ものトンネルが交差しており、いったん迷ったら二度と太陽を拝めないと言われている。
現に、地下に潜ったまま戻れなかった人の話が伝わっている。
今回の旅行のガイド役をつとめてくれた、クスコ在住のセサル氏が地下道にまつわる次のような話を語ってくれた。
50年ほど前、5人の大学生がサクサイワマンの近くの穴から地下へ降りていった。その後、何日も経過しても彼らは戻ってこず大騒ぎになった。それから1ヶ月程して、サント・ドミンゴ教会の司祭が祈りを捧げていると、地下室に通じる床板をコツコツと叩く音が聞こえた。そこで、床板を開けて下を覗くと、すっかりやせ衰えた青年が上にはい上がろうとしていた。
この青年こそ、失踪中の5人の学生の内の一人だったのである。1ヶ月ぶりに地上へ上がることが出来た青年の手には、不思議なことに、純金で出来たトウモロコシが携えられていた。彼はこれをトンネルをさまよう中で手にいれたのだという。
この黄金製のトウモロコシは、スペイン人が「太陽の神殿」に入った時に見た、あのトウモロコシを想起させる。彼は、このトウモロコシを司祭の手に渡し、これでイコンを造って、亡くなった同僚を弔って欲しいと言って息絶えてしまった。
彼が死ぬ前に語ったところでは、5人の仲間は、迷路に迷わぬために長い紐を持って地下におり、先に進んで行ったところ、いつの間にか紐が切れてしまい、入り口に戻ろうとしたしたものの、幾重にもはりめぐされた迷路に迷わされ、戻れなかったのだということであった。
セサルが、父親から聞かされた話によると、このような地下道はクスコ市内ばかりでなく、ペルー全土にはりめぐされれており、それは北はエクアドルから南はペルーまで続いていると言うことであった。
実はそれを裏づける傍証がエクアドルと、アンデスの山中で発見されている。
エクアドルで発見された地下道
地下トンネルの話を聞いて、少し調べてみると、地下道の発見談は南米の各地に残されていることが分かった。その中の代表的な、エクアドルのモロナーサンチャゴ県で発見された人工的な地下トンネルについて、エーリッヒ・フォン・デンケンが『宇宙人の謎』の中で、おおよそ次のように語っている。
1965年に、他所者(よそもの)に敵意を持つインディオに守られたこの地下トンネルの入り口を発見したのは、ハンガリー生まれでアルゼンチン国籍を持つファン・モーリスであった。彼に案内されて洞窟に入ると、地下トンネルは縦横90センチほどの広さで、壁面は磨かれたように滑らかで、天井もエメラルドのようにすべすべして。
しばらく歩くと、突然巨大な大広間に出た。そこは100Mを越す高さと間口があり、テオティワカンの太陽のピラミッドが入るほどの巨大な空間であった。
その広場の中央部にはテーブルと椅子と思われるものが置かれていた。椅子の背後には、まるで動物園のミニ展示場のように爬虫類、ゾウ、ライオン、ジャガー、ラクダ、熊、サル、パイソン、トカゲ、カタツムリ、ザリガニなどの様々な動物の置物が置かれていて、それらはみな黄金製であった。
さらに重要なものに、未知の文字が刻まれた数千枚の金属板があった。これらは、まるで巨大な書物の形に製本されたように並んでおり、それはまるで金属図書館の中に保管された記録簿のようであった。
文字が書かれ、はんこが押された金属板は、機械で作業したように一様であった。この図書館を作り、金属葉を大量に寸法通りに製作する技術を持った人々が、高度の文明を保持した文明人であったことは間違いないと、デニケンは考えた。
洞窟の中から発見されたものの中には、さらに不思議なものが幾つかあった。その内の一つが一枚の石版で、それにはなんと6000万年前に絶滅したと言われている恐竜の絵が描かれていた。
さらに長さが12センチ、幅が6センチほどの石(モーリスは護符と言っている)には、丸い地球の上に立って、月と太陽を両手に持った人物が描かれていた。この絵は、インカより遙かに古い時代にこのトンネルを掘った人々が既に、地球が丸いことを熟知していたことを明示していた。
さらに通路を進むとトンネル網の壁は、裸のままになり、遠い先へと続いていた。モーリスによると、このような地下トンネルは、エクアドルとペルーの地下に、何千キロにわたって存在しているということであった。
以上が大まかな内容である。
デニケンは、これらのトンネル網は、インカ帝国が出来る何千年も前に既に存在していたものであるが、何故かインカの指導者層には、太古のトンネルの存在が知られていたようだと述べている。
実は、インカ皇帝が地下道の詳細を知っており、情報の伝達時などにその一部を利用していた可能性については、古くから伝えられていた。
インカ時代には、当時の首都であったクスコと各地方との間を、情報をキープ(結節縄)に印して、チャスキと呼ばれる飛脚が持って走っていた。
言い伝えでは、彼らの健脚は驚くほどで、1日の走破距離は200キロメートルにも及んだと言われており、時には1000キロも離れたエクアドルやチリからわずか数日で情報が届いたと言われている。
何人かのチャスキがリレー式にバトンタッチしたものと思われるが、それにしてもその速さは尋常ではない。平坦な舗装路ならいざ知らず、5000M級の峰が連なるアンデスの山中の上り下りをその速さで走り抜けることは常識では考えられない。
ところが、もしも伝えられる地下道が実在し、その存在をインカ皇帝一族が知っていたとしたら、特別の任務の時に限り、チャスキにこの地下道を走らせた可能性はある。
チャスキが、直線で出来ていると思われれるこの地下道を使ったことを前提にすれば、インカの驚異的な伝達時間の問題も解決することになる。
ただ大きな問題が一つ残されている。暗黒の地下道を彼らはどのようにして走ったかと言う点である。
アンデスに掘られた地下道
インカを征服したフランシスコ・ピサロも、海抜6778Mのワスカラン山で岩の板に覆われた洞窟を発見している。スペイン人たちはその中が黄金の貯蔵庫になっているのではないかと、探ったが奥までは入ることが出来なかった。
その後、1971年この何層もある洞窟を進み、その終点で、高さ8M、幅5M、厚さ2.5Mもある巨大な回転式扉を開けることに成功した探検隊は、現代の地下工事技師たちでも嫉妬するような壮大なトンネルを発見した。
トンネルは、14%の勾配で海岸に向かって斜めに傾斜しており、土台は、こぶや波状の隆起のある石板からなり、これが滑り止めとなっていた。
海岸に向かっておよそ100キロほど進むと、勾配の先は、海水の潮流の末端で終わっており、そこから先に進むことは出来なかったが、かってはその先がどこかに通じていたはずである。でなければわざわざこれだけの地下トンネルを掘るはずがない。
この地下トンネルは、先史文明の遺産であることは間違いない。現代文明が、せいぜい40キロの青函トンネルやドーバー海峡トンネルをようやく掘ることが出来たことを考えるなら、何千キロにもわたる地下トンネルを彼らに掘れるはずがないからである。
驚異的なこれらのトンネルも、1万5000年前に地球を襲った大カタスロフィーで引き起こされた地殻の隆起や陥落で、その大半が崩壊し、一部が残ったものと思われる。
このように見てくると、南米大陸の地下深くに、数千キロメートルの長さを持つ長大な「地下トンネル」が存在することは、間違いない事実のようであるが、インカの皇帝一族は、遠い過去からの伝承によって、この地下の存在を知らされていたようである。
彼らは先史文明の遺した遺産を利用し、一部の地下道にスペインの征服者の略奪から逃れるために、「太陽の神殿」にあった黄金の一部を隠していた可能性が強い。
クスコの地下トンネルから生還した青年が手にしていた黄金製のトウモロコシは、それの証である。
現在、ペルーとフランスの科学者によって「地下トンネル」の探索が進められている。その結果が発表されるのを期待しているところであるが、先史文明の存在を示す衝撃的な証拠が明らかになったとき、彼らが事実を明らかにする勇気があるかどうかが心配である。
何故なら、多くの科学者たちは、自分たちの学問体系を根本から覆すような発見は、あまり表に出したがらないからである。残念ながら、エジプトを始め過去の古代遺跡の探索結果がそれを示している。
今はただ、今回の調査がそうならないことを祈るのみである。