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ワールド・トレード・センタービルへの2回の攻撃
(2回目は9・11同時多発テロ)
1989年付けの米大統領と英国領事館宛の警告書(1989年10月26日付けで、パラナ州クリチーバ氏の第1公証役場に登録されている)
この警告書には、ワールド・トレード・センタービルへの第1回目の攻撃日については、1993年と記され月日までは特定されていないが、二回目の攻撃は、2001年9月11日と日付が明記されている。
この警告に対する結果は皆さん先刻ご承知の通りである。第1回目の攻撃は警告から3年半後の1993年2月26日に発生、駐車場で爆弾が爆発して多数の死者・負傷者が出ている。また、2回目の攻撃は13年後の2001年9月11日に有名な「9・11同時多発テロ」として発生している。
驚くことに、この警告書には、第2回目の攻撃の後、アフガンとイラクで戦争が勃発し、さらにイラク戦争後にフセイン大統領がイラク中部のダウルにある隠れ家に潜むことまで記されている。
これらの警告書もまた予言通りに現実化していることを、読者は既にご承知の通りである。
警告書は現大統領ジョージ・ブッシュの父親が大統領であった時に、彼宛に発送されたものであるが(上段左の写真)、さらに最初の警告から10年後の1998年10月28日に、再度、ビル・クリントン大統領にも発送されている。
そこには、「私は過去に見た夢のことで大変心配しています。それはマンハッタン島に対するテロ攻撃です。高層ビルが空からやって来る火に包まれるのです。冗談のように思われるでしょうが、そうではありません。ですから私はこうして、このことをアメリカの主要新聞で公表して頂くことを願って、お手紙を差し上げています・・・・・・」と記されている。
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ジョージ・ブッシュの父親への警告書
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マイアミ・ヘラルド新聞社からの返書
(2枚の写真は「未来からの警告」より転写) |
先に述べたように、ジュセリーノはこのように大勢の人を巻き込む社会的な出来事については、当事者に通知すると同時に新聞社などのマスコミにも同じ内容の文書を送り、事前の公表を依頼している。
しかし、これまでにマスコミが彼の要請を受け入れて、事前に公表した例はほとんどないようである。ワールド・トレード・センターへの警告書を受けとったマイアミ・ヘラルド新聞社もその一つで、同社からの返書(上段右の写真:新聞社のロゴマークのレターーヘッドが付いた文書に、執筆担当者のサインが入っている)には、その理由が次のように書かれている。
「・・・・・・、あなたから受け取った1989年10月26日付けの手紙にある、ワールド・トレード・センターに対する2001年9月11日のテロ攻撃についての文書は正当に評価いたします。また、あなたはアメリカが二つの戦争を起こすことも語っておられます。そして最後はイラクに対してであろうと。さらにサダム・フセインは逃亡して、チクリート、正確にはイラク中部ダウルに隠れるとも述べています。不運にも、私どもはこのような内容を発表することが出来ません。なぜなら、恐怖を引き起こすかもしれないからです。・・・・・・・・」
フセインの隠れ場所については、事件発生後の2001年9月13日にジョージ・ブッシュ大統領宛に送られた文書に、「そこはノアの箱船のポスターがある場所で、チグリス川の横にある木の板とプラスチックの敷物に覆われた洞窟である。入り口は煉瓦と泥やゴミで偽装されている」とその場所の様子が詳細に書かれている。
後の新聞報道を見れば、彼の予言が正鵠(せいこく)を得たものであったことがわかる。実は、驚くべき予言がさらに続くのだ。
フセイン逮捕のその後については、新聞報道などによって、今の我々は既に承知している。裁判で有罪が確定した後、昨年の年の瀬12月30日に死刑が執行され、その後、イラクではスンニ派とシーア派間の宗派の対立が一段と激しくなって内戦状態に陥り、連日連夜、多くの命が失われている。
ところが、そうしたフセインの最後とその後の動乱もジュセリーノの予言は、寸分違わず伝えているのだから驚きである。2006年5月29日に、ジャカルタにあるインドネシアのラジオ・パスFm局に宛て3度目の手紙には次のような予知が書かれている。
「サダム・フセインはイラクの裁判によって有罪の判決が下り、2006年12月30日に死刑が執行されるでしょう。これがイラク全土で闘争の原因となり、多くの人が命を落とすでしょう」。
それにしても、ジュセリーノがここまで正確な「予知夢」を見ると言うことは、彼に予知夢を見させている人物が「ただ者」でなく、未来を見通す驚異的な予知能力を持った「超高次元の存在」であることが伺える。
スマトラ沖大地震とインド洋津波
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(画像はAP通信) |
1996年9月16日付けのインド大使宛の警告書
スマトラ沖地震に関する最も早い警告書は災害より8年ほど前に、首都ブラジリアのインド大使に発送されており、そこには、2004年12月26日の朝にインドネシアのアチェ州で、マグニチュード8・9の地震が起き、インドネシアやインドに10メートル級の津波が襲うことが書かれている。
1997年4月30日付けのモルディブ大統領宛の警告書
この文書には次のような警告が記されている。
「私は夢の中で、2004年に南アジアを直撃するとても大きな地震を見ました。それは12月26日、朝の7時に起きます。マグニチュードは8・9です。これによって10メートル級の津波が発生し、インドネシアのアチェ州に始まって、インド、マレーシア、スリランカ、タイ、モルディブ、そしてミャンマーとモーリスまで広がります。間違いなく1万人以上の人々の命が失われるでしょう・・・・・・・・」
その結果は、予告通りの地震が現地時間12月26日朝7時58分に発生し、最終的な死者の数は20万人を超え、最大の津波は30メートルとなって多くの人々を呑み込んでいった。
他にもインドネシアやフィリッピン、タイなどの大使館に同様の書簡が発送されているが、それらはみな郵便局の発送証明が付いている。また、送付先の大使館や大統領秘書官から礼状を兼ねた返信も届いている。
モルディブの大統領府からの返礼書簡では、「地震や津波に関しては、2004年に起きるのであれば、この大惨事を防ぐために自分たちは多くのことをしなくてはならないが、特に何も出来ない」と嘆いている。また、インドネシア大使館からの書簡には「・・・・この内容を本国に伝達いたします。もしほかに追加する情報があれば、遠慮なくお知らせ下さい」と記されている。
こうしてみると、20万人を越える死者を出した巨大地震と大津波は、災害発生より8年も前から予告され、その詳細(地震・津波の規模・それに発生年月日だけでなく時間まで告げられている)が該当する国々に知らされていたことが分かる。しかし、実際にはなんの予防措置もとられなかったのは先刻承知の通りである。
この他にも、20世紀末から21世紀にかけて世界中の人々を恐怖におとしいれた多くの事件や事故が予言され、それらは次々と成就してきている。その中から代表的な事例を幾つか列記する。
ベルリンの壁崩壊
1989年9月2日予告
→ 1989年11月9日発生
恩師であるフランシスコ・シャビエル氏に宛てた手紙には、「同じ人種で同じ言語の国民が、とても高い壁によって東西に分割されているが、間もなく、この高い壁が崩れて両民族が結合するのを見ました。・・・・・・」という内容が書かれている。これがベルリンの壁の崩壊を意味していることは明白である。
なお、私のレポートの冒頭に記したワールドカップで自国ブラジルが5度目の世界一になる予言はこの手紙に一緒に書かれていたものである。
ロシア、ベスラン学校での武装勢力テロ
1999年1月26日予告
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2004年9月1日、335人が死亡し700人が負傷する事故が発生。
モスクワ領事館とロシア政府に宛てた手紙(郵便局の受付レシート付き)には、「2004年8月か9月に、チェチェン共和国独立派と数人のロシア人によって計画されたテロで、数百人の子供と職員が死亡する」ことが記されている。
ロンドン同時多発テロ
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(画像はAP通信) |
2004年3月19日予告 → 2005年7月7日 ロンドンの3箇所の地下鉄とバスの連続爆弾テロが発生、実行犯を含む合計54人が死亡。
イギリスのディリー・テレグラフ紙とサンパウロにあるイギリス領事館に宛てた警告書には、「トニー・ブレア首相には、500キロ爆弾が使用されるテロが貴方の国で起きことを伝えたので、空港などで警戒して欲しい・・・・」「その時期は、2004年6月か7月、もしくは2005年3月までに起きるでしょう・・・・・」と記されている。
この事件は珍しく予言より4ヶ月〜1年遅れて発生している。しかし、テロの内容は予言通り大型爆弾によるものであった。このように、ジュセリーノの予言の中には日時が1年から数ヶ月程度前後するものもあるようなので、そこは心して読む必要がある。
しかし、不思議なことに事件発生より11年も前、1994年4月4日付けのイギリス大使
宛に発送された文書には、テロ攻撃の発生する日時が2005年7月7日であることが明記されているのだ。そもそも、この手紙の一番の要旨は、ブラジル人、ジェアン・メネゼス君の不慮の死を防ごうとするものであったのだが、彼の死の背景となるのが、実は、ロンドンのテロ事件であったために、テロの日時と、メネゼスの事故日を一緒に書き送っていたのである。
そこには、次のような内容が書かれている。
「ジェアン・チャールズ・デ・メネゼス君(21才)が死亡することになるかもしれません。2005年7月22日にあるいは23日に、ストックウェルズとロンドン間の地下鉄で、警察官に中で5発打たれ重傷を負います。テロリストだと勘違いされるのです・・・・2005年7月7日、7月21日から22日、そして23日にテロ攻撃が起きます。・・・・」
その結果は、ジュセリーノの予言書簡通り、2005年7月7日に地下鉄3箇所とバスで同時テロ事件が起き、50数人が死亡。また、21日には、同一グループによるものと思われるテロ未遂事件が発生している。テロ犯たちは23日にも実行を予定していたと思われるが、21日が失敗に終わったため、23日は急遽中止になったようだ。
そして、皆さんも記憶しておられることと思うが、7月22日に、ブラジル人の電気技師、ジェアン・メネゼスがテロ犯と間違えられ警察官に撃たれて死亡している。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の逝去
2003年4月22日予告 → 2005年4月2日死去
ローマ法王の病状悪化と逝去(せいきょ)に関する警告は、2001年から死去の2ヶ月前まで何通かの手紙とEメールで出状されている。逝去される5ヶ月前の、2004年11月のレターには、「法王様は残念ながら2005年3月30日に、きわめて思い病状悪化が現れます。このままでは、2005年4月2日に感染症のためご逝去されることになりましょう・・・・・・」と記されている。
続く
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