| 大量破壊兵器、存在せず! 10月6日、イラクで大量破壊兵器を捜索していたCIA(米中央情報局)主導の調査団のドルファー委員長が、イラク戦争開戦時には、同国にはいかなる大量破壊兵器も存在しなかったと結論づける報告書を議会に提出した。
とうとう、アメリカ自身の手で、核兵器や生物兵器、それにミサイルなどの兵器運搬手段などの一切の大量破壊兵器の存在が妄想に過ぎなかったことを明らかになったのだ。また、この報告では触れていないが、旧フセイン政権と国際テロ組織アルカイダとの関係も証明できなかったことも忘れてはならない点である。
これによって、ブッシュ大統領がイラクとの開戦に掲げた全ての大儀が崩れ去ったことになり、世界中の世論を押し切って始めた戦争が、いかに「傍若無人」(ぼうじゃくぶじん)で「理不尽」な戦いであったかが白日の下に曝(さら)されたわけだ。
最近のブッシュがよく口にする、「人権を重視し、尊重する民主主義の実現」のためであったという開戦の言い訳も、旧アブグレイブ刑務所におけるイラク人捕虜への残虐な行為が明るみになった今では、空々しい戯言(たわごと)にしか聞こえない。
マイケル・ムーアが「アホで間抜け」と呼ぶブッシュと、その仲間であるチェイニーやラムズフェルドらが犯した罪は大きい。その罪の大きさは、開戦以来、命を失った民間人の数を考えればわかる。2万とも3万ともいわれる死者の中には、数千人に達する罪のない幼い子供たちが含まれているのだ。
「一人の人間を殺せば、殺人罪となる。しかし、その数が大量であれば英雄として称えられる」。先の湾岸戦争を勝利したブッシュの父親の誇らしげな顔や、戦場から凱旋する兵を迎える紙吹雪の映像を見るたびに、その諺を思い出す。
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イラク西部のアサド空軍基地に到着したラムズフェルド米国防長官(AFP=時事)
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しかし、ブッシュや彼の仲間の「戦争大好き人間」たちが、偉大な政治家として未来にその名を残すことは決してないし、あってはならないことだ。また気の毒なことであるが、帰還する兵士たちの頭上に紙吹雪が舞うことも二度とないであろう。
そのような理不尽なことを、「誤爆」と称される「殺人行為」によって命を絶たれた多くのイラク人やその遺族たちの、悲しみや苦しみ、そして憎しみの思いが、許すはずがないないからである。
彼らの行為は万死に値すると言わざるを得まい。彼らが落ちていく無限地獄の姿が目に浮かぶようである。しかし、罪深いのは彼らだけではないはずだ。開戦を正当化し、支持してきたマスコミや、今もなお言い逃れするブッシュ政権に星条旗を振りかざす多くのアメリカ国民の罪もまた大きい。
マスコミといえば、日本のマスコミもすっかり忘れてしまっていることがある。あのブッシュと親密だという我が国の総理が、しばらく前、大量破壊兵器の存在が問題になったときの国会答弁である。「大量破壊兵器が見つからないからといって、ないとは言えないではないか」と言った、あの開き直り発言である。
いかに口八丁の小泉総理と言えども、もはや黒を白と言いくるめる道は残されていない。ならば、自衛隊派遣の大義名分が消えた今こそ、マスコミは改めて、自衛隊派遣の是非を問うべきではないか。
彼はまた、ブッシュも顔負けの詭弁(きべん)を弄(ろう)するのだろうか。見物(みもの)である。
愚かなりし、人の心
それにしても恐ろしいのは、人間のうつろな「心の変化」である。あなたは最近のイラクにおける一般市民の殺傷のニュースをどう受け止めているだろうか。
開戦当時、戦死が非日常であった時には、兵士や市民の死が世界に衝撃を与えた。しかし恐ろしいことに、毎日の新聞やテレビで数十人、数百人の死者が報じられ、それらが日常化してくるにつれて、受け取る側の感覚はしだいに麻痺し、特段の驚きや痛ましさが消え、死に対する感覚が曖昧になってきている。
人間には一人ひとりに人生がある。その重さは各自が自分の人生を振り返ってみれば、よくわかることだ。そうした人間が千人いれば、そこには千のかけがえのない人生が存在しているはずだ。
我々がその「千の生」が途中で絶たれる理不尽さを十分に理解するには、他人の死を、自分の人生や身近な人の死に重ねて、その重さを実感するのが一番だ。
それぞれが、幾多の歳月の中を苦難と喜びを感じて生き抜いてきている。そこには、家族との愛があり、語らいがあり、友人や知人との助け合いがある。そうした身近な人々の死と、遠く離れた異境の地でミサイルや銃砲で命を絶たれる人々の死は、まったく同等なのだ。
それを実感し、彼らの死の痛みを分かち合うには、自分の人生や身近な人の死に重ねて、その重さを実感するしかないのだ。
平和な我が国では、台風で5人、10人の人が亡くなればマスコミは大騒ぎをして報じる。しかしそれより遙かに多くの罪なき人々の命がイラクで今もなお、日々、散り続けるいることを、もしも重く受け止める気持ちが我々の心から失われてしまったら、イラク戦争を支持し続けるアメリカ国民と同じ穴の狢(むじな)といわれても仕方あるまい。
今夜のニュースもまた、史上最大級の台風22号の到来と一緒に、イラクでアメリカ軍の空爆によって14名の民間人の死者が出たことを告げていた。その中には、挙式をあげたばかりの花嫁も含まれているというから、なんとも痛ましい限りである。
アメリカ軍はザルカウィ容疑者のグループの拠点を「信頼できる情報に基づいて正確に攻撃した」と主張しているようだが、攻撃対象の建物では結婚披露宴が行われていたことを考えると、今回もまた、でたらめな情報を鵜呑みにしたか、標的を誤爆したかのいずれということになる。
いったいアメリカは、同じ過ちを何度繰り返したら気がすむのだろうか! 殺傷された花嫁、花婿の家族の悲しみと怒りはいかばかりだろうか。アメリカ憎悪の念がイスラム世界を覆い、彼らがイスラムの世界を丸腰では歩けなくなる日が、すぐそこに間近に迫っているようだ。
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10月10日、バグダッドの石油省付近などで自爆攻撃、死者は18人に。
写真は担架で運ばれる息子の遺体を見て泣く母親
(ロイター)
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アメリカは勝利国? それとも敗戦国!
ブッシュが声高らかに宣言したように、イラク戦争にアメリカは本当に勝ったのだろうか?!
2003年3月、バグダットの大統領宮殿へのミサイル攻撃をもって始まったイラク戦争は、おかしなことに、大統領がミズリー艦上で勝利宣言をした後から、戦死者の数をいっきにふやしつづけ、既に1000人を越える事態に至っている。何とも不思議な勝利宣言であった。
90年当時、旧フセイン政権に対する不満は存在したにしろ、イラクでも多くの人々の平穏な暮らしがあった。そのイラクを、悲惨な状態へと追いやった第一弾が、ブッシュの父親の決行した「湾岸戦争」であった。国連の支持を取り付けたとはいえ、その裏にアメリカの中東戦略の謀略があったことは、今は誰もが知る事実である。
まき散らされた劣化ウランによる放射能被害に苦しむ人々は、国連が決議した制裁によって、必要な医薬品を手に入れることが出来ず、次々と倒れていっている。ミルクを必要とした幼い子供たちの命も同じ運命のあった。
その事態に追い打ちを掛けたのが息子ブッシュによって引き起こされた「イラク戦争」である。その後遺症は、さらにひどかった。今やアメリカ軍の傘下に置かれ自由を失った国民は、内戦状態さながらのテロの発生で日々命の危険にさらされるという、二重苦に苦しめられ続けている。
無法地帯と化した、こうした状況を改善するには、もはや、二通りしかか手段は残されていないように思われる。
一つは、アメリカをはじめ駐留する三十数カ国が一斉に引き揚げ、イラク人たち自らの手で国の再建に取りかかってもらう方法である。それには、必要とされるさらなる復興費用は世界が負担し、彼らの手にゆだねるという決断が必要である。
しかし、この方法には巨大な費用負担の分担の問題の他に、大きな不安がある。ここまで内戦状態に至った状態を考えると、分裂した口内勢力同士の争いや、アルカイダなどの外国人勢力による本格的な内戦化の懸念である。
他の一つは、駐留する兵士の数を少なくとも50万人ぐらいに増強し、強力な軍事力を持つことによって力ずくでテロ行為を抑え、国を平定するする方法である。
現在、多国籍軍の主導部隊として駐留するアメリカ軍の兵士の数は13万8000人ほどであるが、戦闘員は5万6000人に過ぎない。これではとても抵抗する組織を抑えてイラクを平定することは無理である。
現に兵士の数の足りないことは、先日(10月4日)、占領統治の元最高責任者であったポール・ブレマ氏自身が明らかにしている。ブレマー氏は、「無法地帯と思われる雰囲気を助長し、大きな代償を支払うことになったのは、米軍部隊の規模の大きさが大きな要因であった」と述べている。
しかし、この手段にも問題がある。軍事力の増強が果たして可能かどうかという点である。
トルコやタイ軍などが既に撤退をはじめており、撤退時期の到来を心待ちする国々が多い中で、これ以上新たな戦力を投入する国は見当たらないのが現状である。ならば、増強は、アメリカ軍に絞られることになってくる。しかし、当のアメリカが海外に派遣している陸軍兵士の数は総数で49万5000人であることを考えると、それは非現実的であことは明らかだ。
こうしてみてみると、もはや、イラク問題がにっちにもさっちにもいかないほどに泥沼化し、第二の「ベトナム化」の様相を呈してきていることがわかる。そこから発生する世界的な不安定化を考えれば、「ベトナム化」どころではないかもしれない。
どうやら、イラク戦争には、勝利者はいなかったことは間違いないようだ!
アメリカよどこへ行く?
かって世界は、アメリカをリーダーと仰ぐ側と、これを帝国主義の大国と見なす側とに二分されていた。このバランスを劇的に変化させたのが現ブッシュ政権である。今や、両陣営に属するかいなかに関係なく、世界の圧倒的多数が米国を「危険な巨人」と見なし、懸念を抱き、用心深くなってきている。
そのような状況下で始まった大統領選挙の結果、仮にケリー民主党大統領が誕生したとしても、道義的な権威を取り戻せぬ限り、世界中の人々の見る目は変わらないであろう。
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ブッシュ 対 ケリー
いずれが勝ってもアメリカの未来に希望は持てそうもないい
AFP=時事 |
厄介なことに、アメリカにはイラク問題とは別に抱え続けてきた大きな難問がある。厖大な貿易と財政赤字の二重苦である。
記録的な債務に苦しむ世界一の借金国アメリカには、国民の人気取りの減税や他国の政治に干渉するほどの余裕はないはずなのだ。
しかし、その二つを実行してしまったことを考えると、アメリカの行く末には暗澹(あんたん)たる思いがしてならない。
考えられるのは、大統領選挙後は世界各地から米国への圧力が急速に強まることだ。不可避となったイラクからの撤退によって、内外からのアメリカの敗北感が一段と強まり、米国内でブッシュ政権に対する激しい非難が巻き起こるのは必死である。
その後、次第に欧州も東アジアもアメリカの外交には注意を払わなくなり、アメリカの覇権時代が終わったことを内外に知らしめることになるに違いない。その結果、アメリカ・ドルは一段と弱くなり、それはまた、株式マーケットの大混乱へと導くことになるのではなかろうか。それは即、世界恐慌の始まりでもある。
そのような事態を回避するには、アメリカが自ら、近年、自国の犯してきた多くの過ちを素直に認め、物質至上主義へと導いてきた誤った価値観や社会構造、社会的な妥協点について、早急に見直すことが必要であろう。
しかし、はたしてそのような行動にアメリカが出られるであろうか? それだけの見識と勇気が、今日のアメリカ国民にあるだろうか? 大統領選挙の様子を見ている限り、私には、大きな期待が持てそうもないように思えてならないのだが。
覇権の時代の終わりだけでなく、米国「優位」の時代と米国による「指導力」の時代を終えたアメリカが、一目置かれる国として再建していくのか、国内分裂が発生し、取るに足らぬ国へと変身していくのか、今アメリカは、その岐路に立たされている。
それはまた、人類の近未来を占う岐路でもあるのだ。
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