世界のパワー・スポット
私たちが住むこの地球には、古くから「パワー・スポット」と呼ばれる、不思議な力が存在する場所がある。
パワース・ポットとは、一体どのような場所のことを言うのだろうか?
その場所を訪ねると、不思議とくつろぎ、元気が出てくる場所。自然や宇宙と一体感を感じ、心身の汚れが浄化されるように感じられる場所のことと思ってもらえればよい。
また、そこは、大地から湧き出るエネルギーを体感できる場所でもある。
そのようなパワー・スポットは世界中に点在しているが、私が実際に目にした一つは、謎の空中都市と呼ばれる「マチュピチュ遺跡」である。
そこには、有名なインティワタナと呼ばれる石造物がある。これは日時計の役割を果たしていたのではないかといわれているもので、遠い昔から、冬至の日には、神官らが太陽が軌道を離れないように、石に紐(ひも)で縛り付ける儀式を行っていたと、伝えられている。
私はこの行事は、先史文明を崩壊させた大カタスロフィーの名残りではないかと考えているが、歴史学的解釈はさておき、この石の突き出た部分に手をかざすと、手の血行が良くなり温かく感じられるといわれている。
現に、そこを訪ねるたびに、多くの観光客が、しばらく石の先端に手を置いて、放射されているエネルギーを感じ取っている場面に出くわす。
私にはあまり感じられなかったが、同行した人の中に、十数秒間、手をかざしていると本当に暖かく感じるという女性がいたことは事実であった。
しかし、マチュピチュの本当のパワー・スポットは別のところにある。それは「癒しの石」と呼ばれる平らな石で、インティワタナがある高台から降りて、広場を横切って反対側の住居跡に足を運ぶと、その一角に置かれている。
観光客にあまり知られているわけではないので、その石に人が群がっているわけではない。そこで、畳一畳より少し小さめの石の上に乗って仰向けになり、しばらくマチュピチュの空を眺めていると、不思議に心身共にリラックスしてくるのが感じられる。
実は、その岩よりさらにパワーがあると思われる石が、遺跡の北の端にある「ワイナピチュ」の頂きにあるのだ。ワイナピチュの「癒しの岩」と呼ばれるその石は、先の石より二回りも大きく、大人三人が大の字になれるほどの面積がある。
そんな巨大な岩がワイナピチュ蜂の頂にあること自体が不思議なのだが、私は訪ねるたびに、その岩には必ず乗って横になるようにしている。すると急斜面の山登りの疲れがとれるだけでなく、何故か気分が爽快になるので不思議な気がしている。
日本にもあるパワー・スポット
ー長谷村の「ゼロ磁場」ー
世界には、マチュピチュの癒しの岩に似たパワー・スポットが数多く散在しているが、それらのどのスポットにも勝るとも劣らぬ強力なパワー・スポットが、我が国にもあるのだ。
そこは、山梨県との県境に近い、長野県伊那群の長谷村と呼ばれる山村の一角である。村の中心から車で隣村大鹿村に向かって20分ほど走ると、分杭峠(ぶんくいとうげ)にさしかかる。その峠の近くに、「ゼロ磁場」と呼ばれるパワー・スポット、癒しの場があるのだ。
ゼロ磁場というのは、その辺り一帯の磁場を測定すると、その数値がほとんどゼロになっているエリアである。峠の一帯は、日本列島を二分する有名な中央構造線と、糸魚川〜静岡構造線とが交わる当たりに位置している。
構造線とは、断層の大規模なものを呼び、中央構造線は九州の八代から徳島、伊勢を経て長野県諏訪市の南を抜け、群馬県の下仁田、埼玉県の寄居を通る、千キロにも及ぶ大断層である。
峠を少し下った当たりで車を止め少し横道にはいると、太平洋側と日本海側の両方の地層のせめぎ合いをはっきりと目にすることが出来る。
分杭峠のゼロ磁場を発見したのは、平成7年中国の有名な気功師、張志祥さんを東海大学教授の佐々木茂美博士が招待し、日本のゼロ磁場を探してもらったのがきっかけであった。
ゼロ磁場が世に知られるようになる以前から、この付近一帯には奇妙な現象が目撃されている。地元の人に話を聞くと、分杭峠とその近くにある二児山(ふたごやま)を結んだ辺り一帯には、時折、地球の裏側、南米のラジオ放送が受信されることがあるのだという。
どうやら、この辺りの上空は、ポッカリと電離層の穴が開いているらしいのだ。その根拠というのが、二児山の頂上に向かって電波を発信したところ、電波はその先に届かず、山頂付近で消えてしまうことにあるからだ。
電波がまともに飛んでいない証拠に、長谷村ではどの民家にもテレビのアンテナが立っていない。アンテナを立てたとしてもノイズが生じてしまって、画像がまったく見えないからである。したがって、長谷村一帯では、すべてのテレビ放送は伊那市から送られてくる光ケーブルによって受信されている。
なにゆえ、電離層に穴が開いていたり、磁場がゼロになっているのだろうか?
私は、先の「フォトン・ベルト」でも触れたように、二つの断層のせめぎ合いによって、フォトン(光子)と同じような強いエネルギーをもった光(波動)が発生し、その力が電波や磁力線を消しているのではないかと、考えている。
その波動とは何か?
それは、気功師が発するサイ(気)の一種ではないだろうか。それを裏付けるように、気を感じることが出来る人が、ゼロ磁場の中でも最もエネルギーが強いと思われる、急な沢の一角に来ると、気功師が発するのと同様な強烈な気を感じ、中には手足がしびれたり、足下が異常に温かく感じられたりするのだ。
現に、9月の始め、友人の家族たちとそこを訪れた私の目の前で、気功を習っている男女二人が、気の強さのために長くその場に立っていられない現象を目撃するところとなった。
心身共に癒される「ゼロ磁場」の効用
私たちがゼロ磁場を訪ねた目的は、それぞれが持つ身体の不具合を直そうとしたからである。というのは、それ以前に、前立腺癌のため放射線治療を施す必要があった仲間のお兄さん(80才)が、その場所に3日間滞在した後、治療をまったく必要としないほどに急激な回復を見たからであった。
気功などとあまり関わりがなかった私たち一行は、その場所に長く滞在していたものの、「熱さ」とか「気の流れ」とかをまったく感じることがなかった。しかし、4時間ほどその場に滞在した後、車で近くのホテルに向かう頃から、それぞれの身体に大きな変化が起きていることを感じ始めたのだ。
実際に、私や仲間の身体に起きた劇的な変化を列記してみると次のようになる。
@ 肩こりで苦しんでいた女性が、すっかり肩のコリを感じなくなった。
A 日常的に膝の痛みに苦しんでいた女性の痛みが、ずっと楽になった。
B 体が硬く、屈伸しても手が地面から15センチも上で止まっていた男性が、軽々と地面につき、もともと
比較的柔らかだった女性は、なんと手のひらが地面につくようになった。
C 3〜4年前から難聴のため、運転中、車のウインカーの音が聞こえなかった男性が、翌日から、その音
が聞こえるようになった。
D 私自身の例で言うなら、硬いからだが柔らかになったのと同時に、上半身が非常に軽くなったのに驚か
された。
これらの現象は、力の強い気功師に加療してもらった後に見られる治療効果であることを考えると、ゼロ磁場からは、「気」の流れと同じ種類の高周波エネルギーが発していることがわかる。
事実、ゼロ磁場を訪ねる人に話を聞くと、一度ならず二度、三度と訪れている人が多いようだ。それは、それぞれの人にかなりの効用があったことの証である。
サイ(気)の効能
ー素直な心が「気」をキャッチするー
それでは、そこを訪れる誰にでも、そのような効果が現れるのだろうか?
近くにある「入野谷」というホテルの従業員に聞いてみると、必ずしもすべての人に顕著な効用が現れるというわけではなさそうだ。しかし常連客が多いことや、訪ねる人の数が年々増えているところを見ると、かなりの人にそれなりの効用があることは間違いのなさそうである。
因みに、著名な気功家で、ロンドンで気功治療を続けておられる望月勇氏は『気の発見』(平凡社刊)の中で、気功治療の効き目がある人とない人に関して、次の5つのタイプに分類されると述べている。
一つは、気の通りがよくて、心がオープンな人。こういう人はすごく効く。二番目は、身体的に気の通りがよいが、心が閉じている人。こういう人は、気を信じていなくても、唯物論者であっても効く。
三番目は、もともと気の通りが悪い身体であっても、心が自由でオープンな人。こういう人はすぐには効果が出なくても、二回三回と治療を重ねていくうちに、徐々に気の通りがよくなって、治っていく。
4番目の、もともと気の通りが悪くて、しかも、心が閉じている人。こういう人はほとんど何の反応もない。おもしろいことに、4番目のタイプの人に気を送ると、送った気が肩や首の当たりでブロックされ、中に入らず自分に跳ね返ってくるのがわかるという。
望月氏が最も不思議に感じるのは、5番目のケースで、どうして治ったのか、患者本人はもとより、自分も医者もわからず、首をかしげる場合が時々あることだという。
その一例として、ドイツのミュンヘンで、60代の女性を治療したケースをあげている。その女性は顔面麻痺で、耳の後の神経を手術した後、その後遺症でまったく歩けなくなり、既に何年も車椅子の生活を送っていた。
下半身が完全に動かないのを確かめた望月氏は、心の中で、これは無理だなと思ったというのだ。ところが、半年後、再びミュンヘンを訪ねた折り、明るい笑顔の女性がすたすたと歩いて、望月氏のところに近づいてきた。見ると。それはまぎれもなく、あの車椅子の女性だったのだ。
それ以来、望月氏はやってみるまでは、治るか治らないか決めつけないようにしているのだという。そして、何か「大いなる力」、「サムシング・グレード」の存在を信じるようになったと述べている。
心を開いておこう
望月氏の話を聞いて一番に感じたことは、精神面の働き、心の持ちようの大切さであった。今日の文明の最大の欠陥は、物質文明に偏りすぎているため、精神世界をなおざりにしていることである。その点については、これまでの著書やHPの中で、幾度も指摘してきているので読者にはおわかり頂けているはずである。
人間でも自然でも、すべてにおいてバランスというものが大切である。晴天ばかりが続いたなら草木は枯れてしまうし、雨の日の連続なら、根は腐ってしまう。同じように、三次元の世界に住む我々にとって、物も金もある程度は必要である。しかし、それらの物質的価値に捕らわれ過ぎて、心や精神の有り様を見失ってしまったら、動物以下の存在になってしまう。
レポート欄でもしばしば触れてきているように、昨今のアメリカの姿を見ると、国そのものが、まさに物質至上主義への偏りの極限状態にいることがわかる。物質至上主義は「自己中心」、「自利心」(自分だけを利する考え)へとつながり、「他人への思いやり」や「利他心」(他人のために尽くす考え)とは正反対の方向へと人を導く。
中国や日本、インドなど東洋で暮らす人々には「チャクラ」とか「経絡」、「ツボ」、「気」といった、目に見えない物に対し抵抗なく受け入れる土壌があった。「気」一つ取ってみても、「気分」、「気質」、「気配」、「気象」、「雰囲気」、「霊気」、「空気」など、私たちの日常に「気」という文字のつく単語があふれており、それらが日本人には昔からなじみの深いものであったことがよくわかる。
一方、アメリカ人やヨーロッパ人の間には、「気」というものを受け入れる風土がないため、「気」とか「気功治療」について理解することが大変のようだ。実際、「気」を英語に訳する場合には、中国語の「チー](CHI)とか。サンスクリット語の「プラーナ」という言葉を使うしかないようだ。
したがって、多くの東洋人が特段の抵抗も無しに受け入れる「気」とか「気功」という言葉や現象を、彼らは素直に受け入れ難いようである。その実例を、望月氏がヨーロッパで気功治療をしていたときのエピソードとして語っている。
ある大学の先生に「気功治療」施していたとき、患部の暖かさが増すたびに、患者が突然、望月氏の手をつかんで、手の中に何か隠し持っていないか調べることが度々あったというのだ。
おそらくその先生は、気を当てることによって背中や腹部が温かくなるなどということが、あるはずがないと思い込んでいたため、望月氏が何か電気器具のような物を手の中に隠し持っているに違いない、と考えたようである。
今日の世界が、人命の尊さや他人に対する思いやりといった、人間としての尊厳を失ってしまったのは、そうした目に見えぬ物、精神的な物に対する考え方の貧弱なヨーロッパ人によって主導されてきた世界であったことも、大きく影響しているのではなかろうか。
そもそも東洋人、中でも日本人には、人間だけでなく動物や植物、また鉱物に至るまで心が宿っていると考える風潮がある。しかし、西洋人にはこういった考え方は理解しにくいようだ。望月氏はその点についておもしろい言い方をしているので、お伝えしておこう。
「意識や心は、鉱物の中では眠っている、草木の中では目覚めている、動物の中では活動している。人間の中では、思惟している」
終わりに
この章は2日間のゼロ磁場体験を基に書き上げたものであるが、これまで特段「気」とか「気功」に関心がなかった私にとっては、この回の体験旅行は精神面、肉体面両方において、大変有意義なものであった。
読者の中に、もしも精神、肉体両面において癒しを必要とする人がいたら、痛みや副作用などの薬害も無く、高い治療費を払わずに、長年の肉体的・精神的苦痛から解放される、こうした「気の力」を借りてみてはいかがだろうか。
日常の雑事から離れ、静寂な山間の地に腰を下ろして、不思議な空間がもたらすサイ(気)の力に心身共に癒されながら、「フォトン・ベルト」との遭遇について、じっくり考えて見てみるのはいかがだろうか。