大ピラミッドの驚異的な精度
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ーー 長さと方位と水平度 ーー
方位と寸法の精度
大 ピラミッドが地球の大きさや形を投影した、いわば地球の正確なミニチュアであることを知った我々は、さらに、正四角錐の基底の四辺が数百メートルの巨大な定規をあてて測ったかのように寸分の狂いもなく東西南北を向き、長さが一定し、さらに基盤の水平度が完璧に水平化している事実を見て、古代エジプトの造営技術に舌を巻くことになる。
北面(230.25m)
A
(北西角89度59分58秒) B
(北東角90度3分2秒)
西面(230.36m)
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東面(230.39m)
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D
(南西角90度0分33)
C (南東角89度56分27秒)
南面
(230.46m)
@ 北面:真西に対する南へのズレ:2分28秒
A 東面:真北に対するにへのズレ:5分39秒
B
南面:真西に対する南へのズレ:1分57
C
西面:真北に対する西へのズレ:2分30秒
(
資料は『ピラミッドの謎は解けた』、『神々の指紋』より)
先ず、各辺の基本方位に対するずれを見てみると、最も大きい東面の真北に対する西へのズレで5分30秒、誤差は0.1%である。そして最小の南面に至っては、わずか1分57秒で、誤差はもはや無いに等しい。見方を変え、四隅の角度の直角(90度)に対するずれを見ても同様のことが言える。最大の南東角の誤差で3分33秒(誤差0.1%)、最小の北西角でわずか2秒である。
いずれにしろ、その精度は尋常ではない。ハンコックは「現代のビルや家でも、完璧な90度の角度を持つ建物は少ない。1度程度は狂っているのが普通だ。それでも構造的には影響がなく、その誤差に気づく人はいない。だが大ピラミッドの場合、古代の建築家は誤差をほとんどゼロにしている」と、その精度のすごさはただごとではないと述べている。
驚異的な精度という点では、基底各辺の長さと基盤の水平度においてもまったく同様なことが言える。
先に見てきたように東南西北の各底辺の長さにはほとんど差がない。一番長い南面で230.46メートル、最短が北面の230.25メートルだから、平均値230.36メートルに対する誤差は最大でもわずか10センチメートルしかなく、0.05%以下である。
さらに驚くのは、およそ600万トンの大ピラミッドを支える土台の水平度である。早稲田大学の吉村教授は、大ピラミッドの地盤を調査した結果、北西側の底辺と南東側の底辺では、高さの差がわずかに1.27センチしかないと述べている。地面に縦横に水を張って水平度を測り、岩盤を削りならして水平化を図ったのだろうしているが、およそ53,000平方メートル(1
6,000坪)の土台を1センチ強の高低差にまで水平化するのは、並大抵のことではない。
それにしても大ピラミッドの方位、長さ、水平度に、これほどまでに精緻な精度を求めているのには、なにか,よほど大きな意味があってのことと思われるが、それはいったい何だったのだろうか? エジプト学者が言うように仮に大ピラミッドがファラオの墓として造られたのだとするならば、その方位が2度や3度狂っていようが、各辺の長さに2メートルや3メートル違いがあろうが、別に何も問題はないはずである。この程度の誤差がファラオの永久の眠りを妨げたり、ファラオの権威を傷つけたりする事になるとはとうてい思えないからである。
公共事業説
最近放映されたNHKスペシャル「四大文明」では、大ピラミッドを含む多くのピラミッドの主な建造目的が、ナイル川氾濫期の農業従事者に対する雇用対策であったという「ピラミッド公共事業説」を伝えている。この公共事業説の最初の提唱者はオックスフォード大学の教授クルド・メンデルスゾーン博士であった。
博士はかのアインシュタインの教えを受けた高名な物理学者であったが、58歳の時からピラミッド研究に取り組みはじめ、以後、10年にわたって考察を重ね、独自の説を構築していった。その一つに、メイドムにある「崩れピラミッド」(クフ王の父スネフル王の建造説とフニ王建造説がある)の崩壊の原因は角度が急過ぎたために外装部分が一気に崩れしまったためであるという外装部崩壊説を発表している。
今ひとつの独創的な考えが先の「ピラミッド公共事業説」である。この仮説は、それまでの定説化されていたヘロドトスの「奴隷酷使によるピラミッド建造説」に対峙するもので、1974年に博士の著作『ピラミッドの謎』が発刊されるとエジプト学者の間に大きな議論を巻き起こした。近年、ギザ台地の南斜面、ピラミッドから約1キロほど南西の砂漠の下から、ピラミッドの建造にたずさわっていたと思われる人々の墓や住居跡が発見され、その発掘の成果に注目が集まっている。
というのは、「ワークマンズ・ビレッジ」と呼ばれるこの遺跡からは、既に1000体を越す遺骨が発見されておるが、それらの骨の調査に当たったアジャ博士は、そこに住んでいた人々は農民を中心とする古代エジプトの普通の人々で、決して奴隷などではなかったと発言しているからである。博士はその裏付けとして、そこで働いていた人々が家族ごと暮らしていたことや(男女の骨の割合は50%づつであった)、脳腫瘍や足の骨折の治療のために行ったと思われる頭蓋骨や足骨に手術のあとが見られることから、土木従事者として優遇される立場にあったことをあげている。
また、最近発見されたその頃の労働長の記録には、「毎日、上機嫌で家庭に戻り、まるで神のための祭礼の時のように、心ゆくまでパンを食べ、ビールを飲んだ」とか、「だれ一人として疲れ果てることも、喉がかわくこともなかった」と記されておる。また、当時の労働者の出勤簿には、欠勤の理由に二日酔いだとか、家族の誕生日のためだとかが、記録されており、労働者が奴隷的な使われ方をしていたのでないことは、記録の内容を信じる限り確かなことであったようである。
これらのことは、ピラミッドの建造にたずさわった人々が、ヘロドトスのいうように奴隷ではなかったことを裏付けるものであることから、メンデルスゾーンの説を補強するものとさえれ、近年、エジプト考古庁のザヒ・ハワス博士や早稲田大学の吉村作治教授など「公共事業説」を指示する学者が増えてきているようである。NHKのスタッフなどすっかりこの説にメロメロで次のようにまで述べている、
メンデルスゾーンの説にもとづけば、一人のファラオが複数のピラミッドをつくったというあの奇妙な事実
も説明がつく。ナイルの氾濫で失業する農民がいる以上、公共事業は不可欠だった。そのため、一つの
ピラミッドが完成したあとも、次々と建設を続け、農民に仕事を提供し続ける必要があった。ピラミッドは
ファラオの生死とは関係なくつくられていたのである。ならば、複数のピラミッドをつくったファラオがいた
ことは、むしろ当然の結果といえよう。
確かにこの仮説は、定期的なナイ川氾濫期に、農民の雇用促進を必要とした当時の社会構造や、強力な中央集権国家の確立を必要とした政治体制に基づいた興味ある考え方であるが、NHKのスタッフだけでなく、支持する多くの学者もこの説の持つ致命的な欠陥を見落としてしまっている。というのは、この仮説では、ピラミッドの建造精度があれほどまでに高いことの理由を説明することが出来ないからである。
公共事業説によると、ピラミッド建造の目的は完成後の用途にあるのではなく、造るという製作行為そのものにあったとされており、完成後に、それが何に使われるかはさしたる問題ではなかったということになっている。従って、この説を受け入れてしまうと、ピラミッド建造に見られる精緻な造りの必然性が欠落してしまうことになる。
建造後のピラミッドが何に使われるかは二次的な問題だとするなら、なぜあれほどまでに精巧な建造物に仕上げねばならなかったかまったく説明がつかないからである。どう考えても、これだけ巨大で精巧な建造物が造られたからには、それなりの何か重大な意味があったはずである。そして、その意味なり、目的が建設に従事した人々に理解されていなかったら、これだけの建造物の完成は見なかったはずである。
高度文明を後世に伝える一大モニュメント
そういった見地からすると、あれほどの一大建造物が単に王墓のためたや公共事業の一環として造られたものでないことだけは確かと言えよう。
三大ピラミッドは、それぞれ葬祭殿や神殿が一体となって複合体をなしていることからして、おそらく宗教的な意味合いがあったことは間違いないと思われるが、それと併せてその精緻さから想起される目的は、地球の形状の投影化や後述する天上(宇宙)のオリオン座や天の川の投影化などによって、遠い後世の人々、つまり現代の我々に、何か重大なメッセージを伝えることであったように思われるのである。
むしろ後者の目的を第一義とした「一大モニュメント」であったのではなかろうか。そのためにはどうしてもこれだけの巨大さと精巧さが必要だったのである。後で見ていくように、三大ピラミッドとその複合体が古代エジプトより遙かに古い先史文明の遺産であった可能性大きい点からすると、その時代の人々が迫りくる大災害に備え。後世に何かを伝えんとした一大モニュメントであったことは、十分に考えられることである。
いずれにしろ、これだけの偉大な建造物が現に、我々の目の前に存在する事実は、三大ピラミッド建造当時の人々が数学や天文学それに土木・建築技術面で驚異的なレベルに達していたことを明示しており、彼らが伝えたかったことの真意も、そのような高度な知識と文明の存在の証そのものにあったように思えてくるのである。また、そう考えることが、巨大で精巧な建造物を造った古代人の意図を一番よく理解することが出来るのである。
ところで、正四角形を正確に描く場合、4箇所の角を対角線上で視野に入れ、それぞれの角の位置を確認する作業が欠かせないことは、測量のイロハである。しかし、大ピラミッドが乗っている岩盤は、不思議なことにほぼ中央が9メートルの高さの丘になっており、測量の基本となる対角線上の位置の確認が出来ないのである。
これは、大ピラミッドのような精度を求める工事にとっては、本来なら致命的な問題であったはずである。それにも関わらず古代エジプト人は、それらがさして問題にならなかったかのように、平然とやってのけているのである。巨石の運搬技術といい、測量技術の凄さといい、なにか彼らは現代人が戸惑うのをせせら笑うかのように、軽々とこれらの難問をクリアーしているのである。とてつもない知識と技能を持った指導者と技能集団が存在したことはもはや疑いようがないほどである。
早稲田大学によるミニピラミッド建造
この精密な建造物を造る際、方位や角度などの測量はどのような方法が用いられたのであろうか。エジプト学者は古くから、天体観測による方法を説いてきている。多くのエジプト学者が指摘するように、方位の決定に天体観測が応用されたとするなら、その対象となるのは太陽や月と言った大きな発光体ではなく、星、それも金星や火星といった惑星でもなく一筋の光線を発する恒星でなければならなかったに違いない。

1978年にギザ台地で、実物の
1000分の1(高さや各辺の長さは14分の1)の小型ピラミッドを実際に造ってみようとする実験考古学の試みが、吉村作治教授を中心とする早稲田大学の考古学調査団によって行われた。この時の様子はテレビでも放送されたのでご記憶の方もおられるだろうが、この実験を見てみると、古代のエジプト人が方位や長さを決める際に用いた一般的な方法を知ることが出来る。
どのピラミッドを見ても基底部が子午線に沿って造られており、ピラミッドの入り口がすべて北面をを向いていることから子午線が設計の基本であったことはほぼ間違いない。そのため南北の方位が最初に決められたものと思わるが、吉村教授らもそのような順序で作業を進めているのが、著書『大ピラミッド新たなる謎』を読むとよくわかる。
採石と並行して進めねばならないのが、基礎工事である。まず必要なことは、東西南北の方位を正確に
知ることだ。その最も簡単な方法は、日光の影を利用することだろう。高い棒を地面に立ててその影の長
さを測る。
影がいちばん短くなったときに、太陽は真南に位置するわけである。だが、この方法では誤差
が大きい。
北極星を規準にしたほうが精度が高い。現場に円形の壁を作る。
この壁は水平でなければならないので、後述するやりかたで地盤を水平にした。観測者は夜になると特定した星が東の空に現れるのを待ち、その星が現れた壁の位置に印をつける。次にその星が空を移動して西に沈むとき、その壁の位置にまた印をつける。壁につけたそれぞれの位置から円の中心点に向かって二本の線を引くと、この二本の線で作られる角度を二分する線が真北を示すのである。
古代エジプト人は、星が北極星を中心に回ることを知っていたのだ。大ピラミッドに見られる方位の完壁さから考えると、おそらくこのような方法を使ったのではないかと考えられる。次に、地盤を水平にすることが重要である。大ピラミッドの地盤を調査した結果によると、北西側の底辺と南東側の底辺では・高さの差がわずかに1.27センチしかない。
この程度の誤差では、建造物にはほとんど影響なく、ほぼ完壁に水平になっ
ているとみなしていい
だろう。残されている図面や浮き彫り、言い伝えなどから推測すると、地盤の水平化には・水を利用し
た可能性が強いと思われる。建設地に浅い水路を縦横に走らせ、そこに水を注ぎ、水面の位置に印
をつける。それを規準に地表を削ってならしていけば・水平な地盤ができることになる。
一読すると、方位の決定と各辺の測量の仕方が概略つかめたような気がしてくる。現実に小型ながらもミニ・ピラミッドが建ち上げているのだから、この方法を使えばあの大ピラミッドも建造できるのではないかと思ってしまいたくなってくる。しかし、少し注意してみると、レプリカ造りでは通用した技術も、本物を建造する際には、そのまま応用できそうもない点がいくつかあることに気づく。
たとえば、最初に円形の壁を作るに際して、欠かせない重要事項は、「水平」で正確な「真円」の壁を作ることである。水平度については、述べられているように水を張って得られるにしても、真円の壁を作ることは容易ではない。
仮にそれが出来て、星の観測から南北の方位(併せて東西の方位も)が正確に決められたにしても、確定できる距離は、一回の測定ではせいぜい5−6メートルぐらいのものであろう。それ以上長く測ろうとしたら紐がたるんだり、風の影響を受けて正確性に欠けてしまうに違いないからである。
とすると、実際のピラミッドの一片の長さはおよそ230メートルであるから、同じ作業を40回近く繰り返さなければならないことになってくる。これだけの回数を繰り返した結果が最大で0.1%の誤差で収まるものだろうか?南面に至っては誤差はないに等しいというのにである。
話はこれだけでは終わらない。実際の建造には、この測量結果にあわせて数トンの巨石をひとつひとつ正確に積み並べていく作業が加わるからである。さらにこの作業を二百数十段にわたって繰り返し、繰り返し行っていかねばならない。そして、この気の遠くなるような作業が完璧に行われなければ、ピラミッドの頂点は四角錐の中心点には収まらないのである。
ところが、エジプト学者の多くは、北極星などの目印になる星を基準に測量することで、方位の決定とそれに沿った石積みは十分に可能であったはずだと言い切っている。それだけ自信があるなら、一度、天体観測だけで実物大の長さと方位を測量し、2ー3段目ぐらいまで実際に石積みをする実験考古学を試みてみたらよい。学者たちは机上の計算と実際の工事との間に多くのギャップに出くわし、机上の空論を認識することなるであろう。
現実に実験考古学に取り組んだ吉村教授でも、自分らが行った方法であれだけ巨大で精緻なピラミッドが完成できるとは、内心思っていないのではないだろか。因みに、教授は、石積みには斜路を用いる工法が最適だと結論しているが、現実には、最頂部のキャップ・ストーンはこの方法では設置することができず、砂漠に設置したクレーンで吊り上げてようやく設置している。
つまり最適な工法だと論じている斜道方式では、肝心のキャップストーンを設置することは出来なかったわけである。キャップストーンの幅は、これまでアカデミズムが考えていた上層部への坂道の幅では足りないばかりか、重量においても限界を超えていることが今回の実験で明確になったわけである。
現に、最頂部での方向転換や、設置手段の問題で、アメリカのリーダーズ・ダイジェストは、ピラミッド最頂部の四角錐石(キャップ・ストーン)は、如何なる力学をもってしても乗せることは不可能という結論を掲載している。
次に、吉村教授は実験結果を踏まえて、4辺の長さの測量が当時どのような方法で行われたかを以下のように推測している。
地盤ができあがると、今度は測量である。地面の距離を測定するには、発掘された浮き彫りや
絵では、長さの決まった紐を何回も使う方法がとられている。この方法が一般的に用いられてい
たことは間違いない。だが、大ピラミッドのような巨大建築では、どうであろうか。風の力でたわん
でしまったりするし、紐自体の長さも常に一定にできるとはかぎらない。
大ピラミッドの各辺の長さの誤差はほとんどなく、紐だけでこれほどの精度が実現できたとは信
じがたい。もっと精度を高くするには、円筒状の計測輪を地面に転がして。何度回転したかで
測る方法がある。これだと風の力の影響もなく、どんな長距離でも誤差なく測ることが出来る。
ここでもまた、ミニチュアと実物大との間のギャップに出くわすことになる。紐による精度に問題を提示している点は全く同意見である。ただし筒状の計測輪を使えば一気に問題が解決されるが如くに述べているが、この方法で正確な距離が測定されるには二つの条件が満たされなければならない点が述べられていない。
まず第一点は、計測輪が一回転ごとに正確に輪の円周を描くには、計測輪の輪が出来る限り 真円に近く、また回転軸が精密に出来ていなければならないが、それだけの精度の計測輪は未だどこからも発見されていない。近年、ギザ台地の南斜面、ピラミッドから約1キロほど南西の砂漠の下から、ピラミッドの建造にたずさわっていた人々が住んでいた「ワークマンズ・ビレッジ」と呼ばれる遺跡が発見され、墓や住居跡の発掘が進んでいるので、いずれ精巧な計測輪をはじめピラミッド建造に用いられた工具や測量器具の新たな発見がなされるかもしれないが、現段階ではそれらの発見は報告されていないようである。
二点目は、230メートルにわたって正確に引かれた直線と、計測輪がその線上を踏み外さずに転がされることが前提となるが、どうしたらそんなことが完璧に出来るのだろうか?教授がどのくらいの大きさの計測輪を想定しているのかわからないが、仮に直径が1メートルの計測輪だとすると、一回転が3メートル強になるので230メートルの直線を測量するには、およそ、80回ほど回転させねばならない。
この間の誤差をわずか10センチ未満に押さえるには、1回転の誤差を2ミリ以下に押さえる精密な円周と回転軸を持った計測輪を用いて、平らな基盤の直線上を考えられないほど正確に回転させていかねばならない。少なくとも添付されている絵のような代物を使ってコンマ1%以下の誤差で測量するのは信じがたいことである。
いずれにしろ、ミニピラミッドの造営実験は、石の切り出し、運搬方法、測量や石積み方法などにおいて幾つかのヒントと、当時の土木技術の一端を垣間見せてくれた点ではそれなりの成果はあったものの、大ピラミッドの持つ驚異的な精度の謎を十分に解き明かしたとはとうてい言い難い。現に、先述したように、ピラミッド建造の最終段階でキャップ・ストーンを頂点に設置することは出来なかったのである。そのためクレーンを用いて吊り上げたわけであるが、その際吉村氏は、転落事故を起こし、危うく命を落としそうになっている。それほど、大ピラミッドの建造は至難の技なのである。
大林組のピラミッド建造計画のプロジェクトにたずさわった一人の方が、非常に含蓄のある言葉を話してくれた。「量は質を変えるんです」と。つまりミニチュアの建造に使えた技術はあくまでもミニチュア用であって、本物の建造にそのまま適用できるほど、ピラミッド建設は甘いものではないということである。
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