4300年前のピラミッド発見


1週間ほど前、新しいピラミッド発見のニュースが世界を駆けめぐった。

それは、エジプト考古最高評議会が公開したカイロ南方のサッカラで発見されたもので、古代エジプト第6王朝テティ王の母シェシティ女王のピラミッド(写真1)とされるものである。

エジプトの調査隊が深さ20mほど掘り進めて見つけたピラミッドは、基底部の一辺の長さが約22メートル、現在の高さは約5メートルだが建設当時は約15メートルあったと推定されている。

 

  
 後方に見えるのが
「ウセルカフ王」のピラミッド


 


(写真1)発見されたピラミッド
(朝日新聞井上道夫特派員撮影)

 


サッカラと言えば第3王朝のジェセル王の階段ピラミッド をはじめとして、第3王朝から第6王朝に至る多くのファラオのピラミッドが散在している場所として有名である。実は、発見されたシェシティ女王のピラミッドのすぐ近く にテティ王自身のピラミッド(写真2)も存在している。その規模 は高さが52m、基底部の一辺は78mと女王のものより一回り大きいが、周辺のピラミッドと同様、見事に崩れてしまっている。

ジェセル王のピラミッドは(写真3)を見 てもらえれば分かるように、テティ王やシェシティ女王のピラミッドに比べるとかなり巨大なもので、基底部は109m*125m、高さ62mほどある。しかし、これはマスタバと呼ばれるベンチ型の墓を階段式に後世に積み重ねられた可能性が高く、一見その規模が大きいため見事に見えるが、基本的にはテティ王の建造方式とさして差があるものではない。

問題は、サッカラに存在しているこうした第3王朝から第6王朝のピラミッド群が、第4王朝のギザ台地に立つクフ、カフラー、メンカウラー王の三大ピラミッド やダハシュールの赤ピラミッドに比べて比較にならないほど稚拙なピラミッドであるという点である。 因みに、クフ王が建造されたと言われている第1ピラミッドは基底部が230メートル、高さが147メートルで、体積比で言うなら、今回発見されたピラミッドなど100分の1にも満たないものである。

 

 

 

(写真2) テティ王のピラミッド


 



(写真3) ジェセル王のピラミッド

それでは、ジェセル王、テティ両王とクフ、カフラー、メンカウラー王の時代関係を見てみよう。

第3王朝 ジェセル王(BC2668〜2649)、
第4王朝 クフ王(BC2589〜2566)、カフラー王(BC2558〜2532)、メンカウラー王(BC2532〜2504)
第6王朝 テティ王(BC2345〜2333)

こうしてみてみると、ジェセル王とクフ王との間には4代の王が存在しているものの、その間わずか60年、また、三大ピラミッドの最後の建造者と言われているメンカウラー王とテティ王との間には、159年しか間があいていないことが分かる。 クフ、カフラー、メンカウラーの前後のこんなに短い期間になぜピラミッドの建造技術に大きな差が生じたのだろうか? それも、子供と大人の建造技術程の差がである。

実は、第4王朝のメンカウラー王と第6王朝のテティ王の間には160年近い歳月が流れているが、その間に存在した第5王朝のウセルカフ王とメンカウラー王との間にはわずか10年しか 間隔がないのである。そのウセルカフ王のピラミッド(写真4)もテティ王のピラミッドと比べるとその規模は少しばかり大きいものの、建造技術にはほとんど差がない のだ。それは、すっかり崩れてしまっている(写真4)を見ればすぐに分かる。

 

 
   

(写真4) ウセルカフ王のピラミッド

 

ジェセル、テティ両王とクフ、カフラー、メンカウラー王の間に民族的な違いがあるなら分かるが、どの王も脈々と続く同じ血が流れる同一民族のファラオ たちである。もしも学者が言うように、三大ピラミッドが本当に第四王朝のファラオ たちの建造物であったとするなら、なぜ ジェセル王の治世からわずか半世紀後に、三大ピラミッドを建造するほどの超高度な土木建造技術が産まれ、また、メンカウラー王の没後わずか10年の歳月でその知識や技術が 突然消え失せてしまったのだろうか?

わずか20〜30年の治世の間に代々のファラオが皆一様にピラミッドを建造してきたことを考えれば、ピラミッドの建造はファラオにとって一大事業であったことは間違いない。ならば、その建造テクノロジーは王位を継承する上で最大の遺産であるはずだ。その貴重な遺産がわずかな歳月で突然消えてしまうなどということはあり得ないことである。今回のシェシティ女王のピラミッドの発掘も、長い間のこうした謎を解くどころか、ますます謎を深めることになってしまったようである。

残された謎を解くのが、クフ王とメンカウラー王が建造したことが確かめられている、第1と第3ピラミッドの横に立つ付属ピラミッド(写真5)である。 併せて6つの付属ピラミッドを見れば、その前後に建造されたジェセル王やウセルカフ王、テティ王のピラミッドとその規模や建造技術が非常によく似ていることが分かる。いずれも皆今は崩れてしまっ たり、崩れかかっているという点でも共通している。

 

 
 



(写真5) 第1ピラミッドの付属ピラミッド

 

第4王朝のクフ王やメンカウラー王が建造したピラミッドは、学者が説くように第1ピラミッドや第3ピラミッドなどではなく、その横に立つ付属ピラミッド こそが彼らの建造物だったと考えると、第3王朝から第6王朝に至るまでの歴代のファラオのピラミッドに、建造技術の共通点が見出されてくる。やはり、ギザの台地に立つ三大ピラミッドは、古代エジプト王朝のファラオが建てた建造物などではなかったのだ!!

下の三大ピラミッド(写真6)や第1ピラミッド(写真7)とジェセル王、テティ王、ウセルカフ王のピラミッド、それに第1ピラミッドの付属ピラミッドの写真を比べると、その規模と建造技術の歴然とした差が分かるはずだ。実際に各ピラミッドの前に立てばその差がさらに実感できる。

先に来日したマウリツィオ・カヴァオリロ氏は、三大ピラミッドはエジプト王朝時代などより遙か太古の時代に建造されたもので、巨大彗星の衝突によって破壊した地球の磁場を取り戻すために造 られた7つのピラミッドの内の一つであると語ってくれた。三大ピラミッドは今回発見されたテティ王の建造したピラミッドなどとは、造られた時代も建造目的もまったく 異なるものであったのだ。そう遠からずのうちに、三大ピラミッドの隠された秘密が明らかになるときが来るはずである。私はそう確信している。
 

 

(写真6) ギザ台地に立つ三大ピラミッド

 



         (写真7) 第1ピラミッド