支笏洞爺国立公園を訪ねる

札幌の講演会の前日、講演会を運営して頂いているスタッフの皆さんに案内されて、支笏洞爺湖国立公園を訪ねた。

洞爺湖に向かう途中、最初に案内して頂いたのが白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館。白老町は日本海に面した苫小牧から30qほど西に位置する町であるが、道央自動車道を利用すると、札幌から1時間ほどでついてしまう。

遠い昔、我々の先祖である和人(倭人)たちによって追われて東北から蝦夷の地へと渡って来た先住民、それがアイヌ族の人々である。

アイヌの人々がたどってきた迫害と差別の歴史は、北米の先住民であるホピ族や、中南米のマヤ族の人々がアメリカ人やスペイン人にから受けた苦難の歴史と 同じである。先頃、グアテマラのマヤ族・最高神官ドン・アレハンドロ一行を我が国に招聘(しょうへい)した直後に、偶然にも、アイヌ資料館を訪ねる ところとなったのは、何とも不思議な縁である。

ポトロ湖に近いアイヌ民族博物館には、アイヌの人々が使用していた生活用具、狩猟用具、さらに儀礼用具や宝物などが豊富に陳列されている。また、チセ と呼ばれる昔のアイヌの建物の中では、古典舞踊や「ムックリ」や「トンコリ 」による演奏も行われており、我が国の先住民族の生活文化の一端を垣間見ることが出来た。

アイヌ民族博物館とアイヌの歴史については、いずれ改めて掲載する予定である。

白老のあとは、登別温泉郷の近くにある地獄谷や大湯沼、室蘭市郊外の風光明媚な海岸風景、有珠山の麓にある昭和新山などを見学し、一路洞爺湖に向かった。洞爺湖に近づく頃は既に日が落ち始めていたが、 湖畔の林の間から、夕焼け空を映してピンク色に染まった湖面が見え隠れしており、情緒的な風景が広がっていた。

洞爺湖といえば、2000年3月の噴火によって温泉郷が大変な被害にあったことが思い出される。当時、私もテレビで降り積もる火山灰を見ながら、これだけの被害にあって 、立ち直れるのだろうかと危惧したものだ。しかし訪ねてみると、温泉町はすっかり整備されてきれいになっており、北海道を代表する観光地の一つとして大勢の観光客で賑(にぎ)わっていた。

特に今年は、洞爺湖畔山上の「ザ・ウィンザーホテル洞爺」で、主要8カ国の首脳がつどう北海道洞爺湖サミットが、7月7日(月)から9日(水)までの3日間の日程で開催されることから脚光を浴びており、一段とにぎわいを見せるものと思われる。

宿泊の夜は湖上で花火が打ち上げられ、船上から艶やかな花火を見物することが出来た。翌朝、部屋から見ると、朝靄(あさもや)の中に島の中央にある4つの島が浮かび上がり、幻想的な景色が広がっていた。

その日は講演会が行われるため、羊蹄山(ようていざん)の周囲をぐるりと回りながら早足で札幌に向かった。羊蹄山は蝦夷富士と呼ばれるようにその姿が富士山によく似ている。高さは2000m弱で3700mの富士には遠く及ばないが、近くから見上げるその姿はなかなか雄大で、美しい山である。羊蹄山 の4景を掲載しておいたのでご覧頂きたい。

 

 

 

 
 


地獄谷

地獄谷は、日和山の噴火活動によりできた爆裂火口の跡で、その大きさは、約11ha、長径約は450mもある。

上の写真は、地獄谷展望台の真正面の剣ヶ峰と呼ばれる火口壁で、ノコギリの歯を逆立てたような赭岩(しゃがん)の絶壁がそそり立っている。

地獄谷の地表には、小さな爆裂火口や噴気孔や湧出口があり、ガスと高温の温泉を湧出している。

 

 

 

 

 
 



大湯沼

大湯沼は、地獄谷の北方にあって、噴煙を吐いている日和山の南麓にできた爆裂火口湖で、乳白色に濁った湯をたたえている。

沼の周囲が約1q、深さ22m、湯の温度は表面が50℃、最深部は130℃だと言うから落ちたらユデダコになってしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 
 



トッカリショ

「トッカリショ」はアイヌ語で、「アザラシの岩」という意味であるが、今は岩でなく漁場そのものをそう呼んでいる。

かっては、冬季になるとアザラシが室蘭近海に群遊してきたが、中でもこの辺には一番より多く集まったところから、トッカリショと呼ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 



地球岬

アイヌ語の「チケップ」(断崖)が「チキウ」に転訛し、「チキュウ」に似ているところから、「地球岬」と 呼ばれるようになった。

昭和60年に「北海道の自然100選」(朝日新聞社)の第1位に選ばれて以来、多くの観光客が訪れるようになったようだ。

この展望台に立つと、地球の円さや自然の雄大さを実感することが出来る。

また地球岬沖は、鯨やイルカのウオッチングでも知られ、夏から秋にかけて、この展望台からもイルカの群れを見ることが出来る日がある。
 

 

 

 

 

 



高台からの展望

対岸は日本石油の石油タンクが林立している製油所一帯。

新緑の候なのにまるで秋の紅葉のようなカラフルな景色が広がっている。

対岸へは白鳥大橋を通るとあっという間に渡ることが出来る。

 

 

 

 

 



昭和新山

昭和18年12月に始まった群発地震をきっかけに、昭和19年6月、かつては有珠山の麓の平地であった麦畑から噴煙が上がり、2年にわたる火山活動の結果、海抜407(現在398)mの火山が形成された。

現在も山頂と山腹から蒸気が出ている。

学術的にも大変貴重な山として、国の特別天然記念物に指定されている。山が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったものである。

新山の形成当時、地元の郵便局長であった三松正夫氏は、世界的にも貴重な火山の保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、山になってしまった土地の買い取りを行った。

このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山でとして有名である。

 

 
 



夕焼けに染まる「洞爺湖」

洞爺湖畔に到着した夕方、木立の間から夕焼けに染まった湖面が見えてきた。

洞爺湖は有珠山(733m)のカルデラ(火山の活動によってできた大きな凹地)内にできた湖である。そのため、洞爺湖周辺の住民は噴火のたびごとに大きな被害を受けている。

過去100年間に4回噴火しているが1977年と2000年の噴火は湖畔の観光地に甚大な被害を与えた。

しかし、その後めざましい復活を遂げ、北海道を代表する観光地の一つとして大勢の観光客で賑わい、今年は「北海道洞爺湖サミット」の開催地として脚光を浴びている。

 

 

 

 

 

 

 

早朝の洞爺湖

早朝、薄暗い湖面を眺めていると、朝靄(あさもや)の中から乳白色の中島、観音島、弁天島、饅頭島の4つの島が浮かび上がってきた。

洞爺湖は、東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖である。

4つの島の中で最も大きな島が「中島」で面積は4.85km²、標高が455mある。

アイヌの人々は洞爺湖のことを「キムン・トー」(山の湖)と呼んでいたが、湖の岸を意味する言葉「トー・ヤ」が和人により湖名とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 
 


ふきだし公園 @

羊蹄山一帯に降った雨水が地下水脈となり湧き出た所が「ふきだし公園」となっている。

清らかな湧水を求めて、近隣の多くの人が何本ものペットボトルを持って、やって来ていた。

 

 

 

 



ふきだし公園 A

ふきだし公園一帯はかって遠く離れた岩内町の梅沢富士郎氏の所有地であったが、昭和の初めに竜門時の開祖・松田玄龍師を通して、地元の京極町に寄付された。

公園内は、仏尊像奉賛会の有志の方たちが草刈りや掃除をしているため、非常にきれいになっていて気持ちが良かった。
 

 
 

 


ふきだし公園 B

ふきだし公園の隣には、不動明王を始め、観音菩薩像、十三仏像その他の諸像を含め計54体の諸尊像が安置され、観音信仰の霊場となっている。

 

 
 
 
「イワオヌプリ」と「ニセコアンヌプリ」、「ニトヌプリ」

温泉とスキー場で有名なニセコ町に連なる標高1000m強のニセコ三山

 

 

日本百名山である羊蹄山(ようていざん)は、その姿が富士山に似ていることから、蝦夷富士(えぞふじ)とも呼ばれている。
山の周囲を回ると少しづつその姿が変化してきて、次第に霊峰富士に似てくる。
 


羊蹄山 @
 

羊蹄山 A

羊蹄山 B

羊蹄山 C