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戦争の悲劇を改めて思い起こす地下壕

 
 

 
 


「ひめゆりの塔」の近くに建てられた女性学徒たちの慰霊碑。
 その手前にあるのが地下壕の入口である。 (クリックで拡大)

 
 

最終日、那覇市から車で40分ほどの場所にある糸満市の「ひめゆりの塔」を訪ねることとなった。 ご年配の読者の方々は「ひめゆりの塔」についてはご存じのことと思う。 太平洋戦争 で沖縄の人々が遭遇した悲劇を示す一つのシンボルである。 その名称の由来は、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた 「姫百合(ひめゆり)」である。

太平洋戦争の終盤、日本本土上陸を目指す米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年(昭和20年)3月23日の深夜、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒222名は、教師18名に引率されて、那覇市の近くにあった沖縄陸軍病院に向かった。 看護師として兵士の治療に就くための従軍であった。 生徒たちの中で最上級生は19歳、最下級生は15歳であった。

深夜、第一高等女学校の校長の住宅前に集まった生徒たちを前に、校長は『いよいよ米軍の上陸だ。 平素の訓練の効果を発揮して、御国にご奉公すべき時が来た。 私は軍命によって軍司令部に行くことになった。 君たちは先生方と共に陸軍病院で、皇国のために頑張ってもらいたい』と訓示。 生徒たちは 夜半の暗闇の道を南風原の陸軍病院へと向かった。

しかし、2ヶ月後の米軍の激しい攻撃にさらされ5月25日には、陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜むところとなった。 壕が避難所兼病院となったのだ。

その後、戦局がさらに絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられた。 しかし、既に沖縄のほぼ全域を米軍が支配しており、また周辺も激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることは死につながる状況であった。

地下壕は自然が造った地下の空洞 で、第一地下壕から第三地下壕まで三つに分かれていて、負傷者の治療もになっていたので外科壕と名付けられていた。 その中で最も大きな被害を受けたのは第三外科壕に入った学徒隊であった。 

 
 

 
 


慰霊碑の前から見た第三外科壕の地下への入口
(クリックで拡大)
この入口から入った壕の中で、多くの学徒たちが悲惨な死を
遂げることとなったのだ。
 彼女たちの冥福を祈らせて頂く。

 
 

第三外科壕は19日朝、米軍による手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡。 壕を脱出した学徒隊もその多くが戦闘で死亡。 第三外科壕にいた人々のうち沖縄戦終結まで生き残った学徒の数はわずか4名であった。

この悲惨な第三外科壕の近くに立つのが「ひめゆりの塔」で、そこに建てられたのが上段の写真の慰霊碑。 そして慰霊碑と献花の間にあるのが、第三外科壕に下りていく入口(下の写真)である。 今その隣には平和祈念資料館が建てられ、亡くなった学徒員たちの遺品や生存者の手記などが展示されている。  

それらを目にして心が痛まない人はいない。 わずか15〜19歳の若き女性学徒たちが御国のために、看護要員として陸軍病院に派遣されてからわずか3ヶ月足らずのうちに、次々と命を落とすこととなった のだから。 しかし、それが戦争というものの実体なのである。 

今、シリアやアフガン、イエメンなどで都市から脱出できない状況におかれた女性や子供を含む一般市民が、次々と投下される爆弾で死に追いやられている姿 を思い浮かべると、閉じ込められた壕の中で死を迎えた女子学徒の悲惨な姿と重なって来る。 戦争 というものの残酷さや悲惨さには、時代も国も区別はないのだ。 

その戦争に向かって世界が今一歩一歩近づいている姿を見るにつけ、人間とはなんと愚かな生き物かと情けなくなってくる。  核を使うことになる次なる世界大戦は、地球そのものの破壊につながるだけに何としても防がねばならない。 その恐ろしい戦争に巻き込まれる前に、悲しい惑星「サラス」が希望の星「アルス」へと、一刻も早く生まれ変わることを願わずに はいられない気持ちである。

 
 

 
 


第三外科壕の地下への入口 (糸満市HPより転写)

 
 

可憐な草花と真っ赤に染まった夕陽

 

人間の苦しみや悲しみを癒すために誕生したのが草花たち。 その可憐な姿を見ていると苦しみや悲しみが薄らぎ、心が癒されるのが実感できる。 まさに草花は大神様が愚かな人間に与えて下さった慰めと癒しのためのプレゼントに違いない。 今回掲載した花の中には、ペルーやメキシコ産の花もあり、南米の旅を思い出させてくれた

一方、自然が醸し出す美しい景観もまた心を癒す最大の妙薬である。 前回掲載させて頂いた朝焼けや今回の真っ赤に染まった夕陽の姿は、荒(すさ)んだ心 、傷ついた心にとって何よりの治療薬。 そんな写真を撮らせて頂いている私は果報者である。 掲載した写真の一枚が読者にとって少しでも心の癒しになれば、痛風で足を引きずりながら撮影してきた甲斐があったというものである。

今回掲載させて頂いた写真も機会を見て、徳乃蔵で展示させてもらおうと思っている。 その際には、是非ご来館頂いたら幸いである。 もし写真の中で希望するものがあったら、徳乃蔵までご 連絡頂きたい。 写真の売上金は戦禍で苦しんでいるシリアやイエメンの人々の救済支援に回させて頂こうと考えている。

最後に3日間にわたってお忙しい中ご案内を頂いた、山田さんと真栄城さんに心から御礼を申し上げます。 有難うございました。

 



 

ナスタチューム


カンナ
 

ブーゲンビリア

 



 

トランペットツリー


ベンケイソウ
 

メイフラワー

 



 

ハイビスカス


センネンボク
 

カエンカズラ


 



 



 


沖縄の海の彼方に沈む夕陽 @
 

A

B

 

 




 

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