利尻・礼文島への旅 D

 

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日本の北限・宗谷岬へ


朝9時30分の快速艇で島を離れ羽幌(はぼろ)町へ。再び車で130キロ北の稚内に向かう。走って驚かされるのは、あまりに行き交う車が少ないことである。整備されている国道232線や海岸沿いの天塩〜稚内道路主要道路であるはずなのにすれ違う車は稀でまるで貸切道路を走っているようである。

途中天文台のある初山別(しょさんべつ)に立ち寄る。人家の少ない沿岸は、人口の灯かりに邪魔されずに天体観測には好都合なのだろう。八ヶ岳山麓の野辺山にある天文台を思い出す。

天文台の周囲は町興しのため「みさき台公園キャンプ場として整備されており、草花も植えられていて金比羅岬を遠望する景観素晴らしい。また、近くには「しょさんべつ温泉・岬センター」もあり、観光客の憩いの地ともなっている。

稚内へと向かって車を走らせる途中、国道を離れて海岸沿いのルートに入ってしばらくすると、たくさんの風力発電の風車が立ち並ぶ風景に出くわした。風車の数は数えてみると27本、海岸に沿って一列に並んでいるその姿はなかなか雄大である。車を止め、彼方に浮かぶ利尻富士を背景にした他では見られない風車の風景を撮影

さらに40キロほど北に向かった海岸からは、日本海の彼方に浮かぶ利尻富士の勇姿が見えてきた。稚内に着いたのは4時前、そのまま宗谷岬に向かう。そこはまさに日本最北端の地である。車でおよそ30分、道路沿いには思っていた以上に家が立ち並び、最北端の町とは思えないほどであった。私の住む八ヶ岳山麓も冬の寒さは厳しいが、この地はそれとはまた桁違いの寒さに違いない。

しかし「住めば都」、そこはこの地に住む人々にとっては都であり、楽園なのであろう。冬の寒さがあるからこそ、夏の素晴らしさがより一段と感じられるわけで、気温の変化が乏しい東京や大阪の都会暮らしでは得られない、春夏秋冬の季節感を味わうことが出来るからだ

平日のせいだろうか、宗谷岬の北緯45度31分22秒の「日本最北端の地の碑」が立つ広場には思っていたほど観光客はおらず、お陰でゆったりと最北端のの雰囲気を味わうことが出来た。この広場にも立像が建っており、近づいてみるとそれは間宮林蔵の像であった。

間宮林蔵は1809年に江戸幕府からの命を受け、北方探索に赴 き間宮海峡を発見し、樺太(現・サハリン)が島であることを確認している。この発見は当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、これによって彼は世界地図にその名を残すところとなった。その後、師である伊能忠敬の事業を引き継ぎ、蝦夷地「北海道」の地図作製にも多大な貢献を果たしており、北海道とは 大変縁の深い人物である。

宗谷岬を離れ稚内市内に一度戻ったあと、「ノシャップに向かう。多くの人が知っているのは根室市の知床半島の先端「納沙布(ノサップ)岬」で、「ノシャップ岬とは別である。しかし、ノサップもノシャップももとはアイヌ語の「ノツサム」(「岬の傍ら」「波が砕ける場所」)から来ていて、意味は同じである。

ここは夕陽がきれいなことで知られている半島なので夕陽が沈むまで待つことにした。日の入りは6時59分、およそ40分後だ。最後に日本列島北端の彼方に沈む夕日の姿を掲載しておいたので、ご覧いただきたい。明日はいよいよ礼文島に渡る。 (次回に続く)

 



 


初山別町天文台
 

天文台公園から
金比羅岬を望む


27機の風力発電用
風車の彼方に、利尻
富士の姿が浮かぶ

 @
 

A

 



 


B
 

西の海に浮かぶ
利尻富士


35キロまで近づく
と利尻島が次第に
迫って来た
 

日本最北端の地
宗谷岬

 



 


宗谷岬に建つ
間宮林蔵の像
 


稚内湾に面した
漁港

宗谷海峡は寒流と暖流
が入り混じり、ナマコ、
毛ガニ、マガレイなどの
魚介類の好漁場となって
おり、利尻昆布は北海道
管内随一の水揚げを誇っ
ている
 



岬の高台には年間
平均風速が7m/秒と
いう強い風を受けて回る風車の姿が見える
 

恵山泊漁港公園
から眺めた
ノシャップ岬の
見事な夕焼け

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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