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   大ピラミッド  


テロ再発を恐れて、すっかり観光客の減ったがら空きの日本航空で、ローマを経由しカイロに着いたのは夜半過ぎであった。

翌朝さっそくギザへ出掛けた。

はじめて見る大ピラミッドの偉容に、木内氏はしばらく言葉をなくして立ちつくしている。三度その前に立つ私とて全く同じである。目の前に立ちはだかる巨大な石壁を見上げていると、圧倒されて呆然としてしまう。

それにしてもこの巨大さは凄いの一語に尽きる。これだけ石造物が、「方位」や「水平度」、それに「底辺の長さ」において誤差がないに等しいと言うから、そのずば抜けた技術にはただ舌を巻くばかりである。

それでは、これから大ピラミッドの周囲を回ったあと、内部に入ってみることにしよう。

              (内部の構造を見る場合は下図を参照)

                  

                     

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  大ピラミッド

古王国時代 第4王朝のファラオ(王)クフによって建造されたとされている「第一ピラミッド」。 北東の角から撮影したが、あまりに巨大なため広角レンズをはみ出してしまい、全体像を収めることができない。

とてつもないその大きさは、高さが147メートル、1辺の長さが230メートル、四面の傾斜角度が52度で、使われている石の数はおよそ300万個と言われている。

これだけの石を積み上げるとなると、1日100個ずつ積んでも3万日つまり80年はかかってしまう。とても一代のファラオの時代でできる芸当ではない。

エジプト学者の説に従うと、10万人の人間がそれをわずか20年でやってのけたことになっている。それも作業にかかる期間は、ナイル川の氾濫期の三ヶ月間に限定しての話である。

学者の言うことだから間違いはないだろうと考えている人は、そんな考えはすぐに改めた方がいい。ピラミッドは作業人数さえ多くすればできるほど、簡単な代物ではないからである。

 

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 二つの入り口

北斜面にある二つの入り口。

下段が8世紀のアラビアのカリフ(イスラム教の総督)によって開けられた入り口。

上段が、本来の入り口。こちらは切り妻造りで出来ており、間口も広く天井もずっと高い。しかし、現在は石板で閉じられていて、出入りはできなくなっている。

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 化粧石(化粧板)

かっては、大ピラミッドは鏡のように磨かれた白色石灰岩の化粧板によって全面が覆われ、輝いて見えたといわれている。

しかし、化粧石は13世紀にカイロを襲った大地震によって、崩壊したモスク(イスラム教の寺院)や公共施設を再建するために、はがされてしまい、今は、ブロック(切石)が露わになっている。

それでも。北側の最下段に数個だけ原型を留めた化粧石が残されている。子供たちが腰掛けているのがそれである。

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 化粧石の大きさを測量する

化粧板といっても、一枚の大きさは相当のもので、高さは1.5メートル、奥行きは上段が1.3メートル、下段が2.3メートル、幅は1.5メートルあり、想定される重さはおよそ10トンである。

これだけ大きくて重い化粧石がおよそ5万個、目地(接続部)が見えないほど精緻に組み合わされていたいたと言うから、建造技術の凄さがわかろうというものである。

19世紀の偉大な考古学者フリンダース・ペトリは、ポケットナイフの鋭い刃もも入らぬほどに接続されたその姿を見て、「この仕事は眼鏡製造の最高の仕事を、広大な規模で行っているようなものだ」と述べている。

  

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 巨大な切石

南面の西側の角に、一段目と二段目が一体となった巨大な一枚石が使われていた。大きさを測ってみると、横幅が7メートル、高さが2.7メールであった。奥行きは4−5メートルはあるだろうから、その重量は悠に200トンはありそうだ。

200トンの重さが地下鉄の車両10台分であることを考えると、ピラミッド建造者は、一体いかなる方法でこんな巨大な切石をギザの高台に運び上げ、据え付けたもだろうかと誰しもが考えてしまう。

どう考えても、考古学者が言う、「丸太」と「ソリ」と「ロープで」は無理である。

 

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 通気孔

「王の間」から外壁に向かって20センチ四方ほどの穴(孔)が抜けているが、南斜面の中段辺りに壁面を抜けた出口が見える。

周辺が黒ずんで見えるのは、出口を確認するためにダイナマイトで爆破したときの跡である。

  

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 補助ピラミッド(王妃のピラミッド)

大ピラミッドの東側に、付属ピラミッドと呼ばれている3基の小さくて粗末なピラミッドが建てられている。クフ王が王妃のために建てたものとされているが、事実その内の一つから、王妃ヘヌーツェンの遺物が発見されている。

ただこれが、クフ王によって造られたものだとすると、大ピラミッドは一体誰が造ったのかという疑問が湧いてくる。大ピラミッドと付属ピラミッドの出来映えがあまりにも違いすぎるからである。

大ピラミッドに比べて、付属ピラミッドに使われているブロック(切石)は遙かに小さく、また石積みの技術にいたっては、大人と子供の違い以上である。どう見ても二つのピラミッドは、別の時代、別の人間によって造られたとしか考えられない。

やはり大ピラミッドは、クフ王によって造られたものではなさそうだ。

 

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 アル・マムーンの穴

9世紀のカイロのイスラム教のカリフ(総督)であったアル・マムーンが、大ピラミッドの内部には、太古の文明の「知恵」と「技術」が隠されているという伝承を信じて中に入るために、大変な苦労の末開けた穴である。

古代には入り口の存在は知られていたが、マムーンの時代には忘れ去られていた。現在、内部への出入りには全てこの穴(抗)が使われている。

 

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 巨大な栓

上昇通路の入り口には、三個の花崗岩がまるで栓(せん)をしたように、置かれていた。そのため、マムーンはその脇を掘って上昇通路に出ている。

写真の手前の大きな穴が、マムーンの掘った穴で、木内氏の左側に見えるのが、正規の上昇路に置かれた花崗岩(栓)である。

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 上昇通路

縦横およそ1メートル、26度の角度の上昇通路をおよそ40メートルほど上がると、大回廊に出る。

現在、通路には両サイドには手すりが付けられ、足下に板が敷かれていているので、かがみこむ不都合はあるものの、大した苦労をせずに上り下りできるが、滑りやすい建設中や完成後に内部に出入りした人達はさぞかし大変だったに違いない。

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 大回廊

上昇通路を登ると突然、横幅2メートル、高さが8.5メートルの巨大な空間に出て驚かされる。これが「大回廊」と呼ばれている不思議な上昇回廊である。

両壁は少しづつ内側にせり出して、天井では1メートルに狭まっている。

何のためにこのような空間が造られたか定かでないが、ここに立っていると、何か巨大な機械装置の中にいるような錯覚にとらわれる。

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(右『ピラミッド』より転写)

 「王の間」の出入り口

苦労して背を丸めないと出入りできない。なぜこんなに小さな抗しか造らなかったのだろうか。

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 「控えの間」にある吊し戸の跡

「王の間」の手前にある「控えの間」と呼ばれている奇妙な部屋には、何枚かの石板で入り口をふさぐように、吊り戸の溝が掘られている。

王の前の出入りを防ぐために造られたとされているが、それにしては不思議なことに「王の間」からは、空の石の箱(石棺)以外何も発見されていない。

人の出入りを防ぐと言うより、「王の間」の密閉度を保つための役目を果たしていたのではなかろうか。王の間の入り口が異常に狭いのも同じ意味合いがあったように思われる。

下の挿絵は、「控えの間」の再現図である。

 

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 「王の部屋」の西側の隅に置かれた石棺

花崗岩をくり抜いて作られた、通称「石棺」と呼ばれているこの巨大な石の箱は、何に使われたものなのか全くわかっていない。エジプト学者は王の遺体が置かれたものと主張しているが、これが棺であった証拠は何一つ発見されていない。

それより、当時の大柄な人間が入るには狭すぎる。王の遺体は何重にもなった木の箱で覆われているのが普通であることを考えると、この大きさではとても無理である。

それにしても、巨大な一枚岩のから切り出したこの硬いを花崗岩を、まるで鏡の面のように見事に彫り抜いた技術は、驚異以外の何物でもない。切削の専門家は、現代の最先端の機器を用いても出来るかどうか疑問であると言っている。

ピラミッドに使われたハイテクノロジーは我々の遙かに想像を超えたものであったようだ。 

部屋の壁に注目していただきたい。全く隙間がないことに気付かれるであろう。「ピラミッド再建計画」を立案した大林組の担当者が、「我々にはここまでの技術はないでしょうね」と言っていた言葉が、思い出される。

(写真下) 木内氏とガイド   

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 石棺には、はめ蓋の跡が残されている

不思議なことに、この石棺に使われたと思われる蓋(ふた)が発見されていない。もともと石棺には蓋がなかったと主張している学者もいるが、上部には、滑り戸式の蓋に使われたと思われる溝の跡が残されていることから、蓋の存在は間違いないように思われる。

それにしても、どの記録にも残されていない蓋は、一体どこへ消えてしまったのだろうか?

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