カルナック神殿

 

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カルナック神殿
ルクソール神殿
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エジプト考古学博物館 @
エジプト考古学博物館 A

カルナック神殿

 

アスワンから北上する(カイロに戻る)こと260キロ、かって「テーベ」と呼ばれ、中王国時代(B・C2040−) から新王国時代、そして末期王国時代にかけて凡そ1800年間にわたって首都として栄えたルクソールに到着する。

ナイル川を挟んで、東側には有名な「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」の遺跡があり、対岸の西側の陵には「王家の谷」や「ハトシェプト女王の葬祭殿」がある。古くから、ナイル川を挟んで東側地域は、まつりごとが行われたり人々が生活する場所であり、一方、太陽が沈むナイル川西岸の砂漠は、古代エジプト人にとってあの世がある場所であり、墓地であった。

カルナック神殿では、大列柱室と呼ばれれ部屋(部屋といっても今は天井がないので部屋という実感がない)に建ち並ぶ134本の巨柱の太さと高さに驚かされる。

 

 


   写真説明   

 @ カルナック神殿の正面

  カルナック神殿と呼ばれる神殿は、実は歴代の各ファラオによって次々と増設された幾つかの神殿の複合体によって成り上がっている。

古王国朝時代はファラオ自身が神そのものであったが、新王朝時代になると、ファラオはアモン神などの神々の庇護のもとにある存在となり、そのために、新王国時代に国家神となったアモン神を祭るテーベ(現在のルクソール)に、歴代の王は、神殿、オベリスク、神像などを争って寄進し、その結果、カルナックは巨大な神殿となっていった。

因みに、第18王朝以降、アレキサンダー大王に至る1300年間に、エジ
プトの国王の称号を得た者で、ここに名を刻まなかった者はいない。   
正面の手前左側がラムセス二世像、入り口の先に円柱の塔の大列柱室が見える。 

 

 A 大列柱室T

 B 大列柱室U 

高さ15メートルと23メートルの2種の巨柱が134本並ぶ様に圧倒される。



 C 倒れたハトシェプト女王のオベリスクが展示されている。  
   

オベリスク(尖塔)は、太陽神の信仰の対象として建てられた。頂上の三角錐の部分は黄金が張られ、その光り輝く姿は地上の太陽のごときであったという。    
  
しかしながら、多くのオベリスクは、海外に持ち出されてしまい、現在、エジプトに残されたものは20基ほどしかない。
  
海外で見られるオベリスクの中で最も有名なものが、パリのコンコルド広場に立っている。

   
 D 後方に見えるのがトトメス一世のオベリスク
               (B・C1524−1518) 




 

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